2015年1月7日水曜日

一橋大学社会学部

一橋大学を受験しようとしている高校生、一橋大学の学生を採用しようとしている企業の人事担当者に、一橋大学社会学部の実態を知ってもらいたいと思いこの記事を書く。
社会学部の惨状は同大学だけの問題ではなく、日本の大学における社会科学教育の失敗を端的に示す例であるといえる。

一橋大学社会学部とは、分かりやすく言えば、マルクス主義者の高島善哉を開祖とし、マルクス主義教育を特徴とする社会学系の学部である。社会学「系」と書いたのは、大学公式プロフィールに「社会科学・人文科学の総合化をめざす」学部とあるとおり、社会学だけでなく社会・人文系の広い分野の研究者が集まっているからだ──良く言えば。つまりはマルクス主義者やマルクスの影響が色濃い研究者がやたら多いばかりの、文学部の出来損ないである。

世間一般では一橋大学といえば、経験主義や功利主義を重んじる校風の、実学の大学というイメージだろう。商学部、経済学部はほぼ、このイメージに当てはまる。法学部もそれほど遠くない。しかし、社会学部はまったく正反対なのである。むしろマルクシストとそれに近い左派社会学者や左派歴史学者たちの学校というイメージで捉えた方が正確だといえる。また反天皇制もこの学部の教育の特徴である。

文科系学部に所謂「左翼」が多いのはどこの大学にも見られるごく普通の現象なのだが、一橋大学社会学部の場合は、他学部が非マルクス的であることを特徴しているため一層その特異さが際立つ。しかも私が在籍していた当時のカリキュラムでは、必修授業をガチガチのマルクス主義者や極左の教授が担当していて、カルト宗教的と呼びたくなるような反資本主義、反米、反大企業の思想刷り込み教育をおこなっていた。マルクス思想を研究の柱に据える者以外でも、ほとんどの教員はかなり極端に左翼的であった。

当時の教員は、渡邊雅男、矢澤修次郎、佐藤毅、加藤哲郎、などなど。

私が一年時に履修した矢澤修次郎担当の必修授業は、鎌田慧の「教育工場の子供たち」「自動車絶望工場」などを読ませて感想文を書かせるものだった。矢澤が言うには「君ら学生は実社会の知見が足りないから」(語句は正確でない)だそうだ。鎌田慧を読んで実社会の何を知ることができるというのか、当時も、四半世紀後の今も、私には到底理解できない。新入学学生のナイーブさにつけこみ、三流左翼ジャーナリストの俗悪ルポルタージュもどきを繰り返し読ませて左翼的社会観を刷り込むことが、矢澤の考える社会科学教育のようであった。

社会調査が担当の濱谷正晴というのもいた。私の在籍当時、社会学部で社会調査を担当していた教授は彼一人だった。統計学の知識など一片もないと思われる濱谷に社会調査の教育を任せてしまっているのである。彼の授業で湾岸戦争に関する学生の意識調査をした時のエピソード。調査票の質問文が「湾岸戦争はアメリカが中東の石油を支配するためのものだが、…」(大昔の記憶なので正確ではない)云々となっている。こんな質問文はおかしいだろうと濱谷に確認したが、答えは「それでいい」。その調査票を私が知っている経済学部の数理統計の教授にもっていき協力をお願いしたところ、「こんな馬鹿げた調査には協力できない」と一蹴された。社会学部の学生に話したら馬鹿にするなと憤っていたが、私は完全に経済学部の教授と同感だった。社会学部が学内でどういう立場か良く分かる一例だろう。

渡邊雅男が講義で「イデオロギー性のない科学はない」「君らはソ連を馬鹿にしているだろうが、社会主義も勉強しなくちゃいけない」「君らは自分を労働者ではないと思っているだろうが、きみらは労働者なんだ」「主観的には搾取されていなくても、客観的には搾取されているんだ」などと上擦った声で叫んでいたのも忘れ難い。渡邊雅男は同僚研究者にすら「お経」だの「訓詁学」だのと揶揄されるほどの教条マルクス主義者。それどころか自分で「マルクスの主張と現実とが食い違っているように見えるのは、マルクスが間違っているからではなく、我々がマルクスを読み誤っているからだ」とさえ言い切っている。彼にとってマルクスが正しいことは前提であって、議論の対象とはなり得ない。純粋に信仰と化しているわけだ。最悪なのは、社会学部が彼に「社会科学概論」という社会学部1、2年次必修の講義を担当させていたこと。新入生をマルクス信者に洗脳する狙いだと言っても、言い過ぎとは思われない。

学生も大多数は教育に流されてしまっていて、社会学部だけ共産党・社会党(今の社民党)の支持が70%を越えているという支持政党の意識調査もあった。他学部の学生からは「バカ社」と嘲られていた。馬鹿にされるのは単位の取得が簡単で勉強しないことも一因だが、授業では到底学ぶに値しないことばかり教えているのだから仕方ない。古式蒼然たる左翼学部は単位取得が簡単というのは他大学でも同様らしから、学生へ甘くすることで自分たちの教育の独り善がりぶりも大目に見てもらおうという心理が教員に働いているのではないか。結局、社会学部の学生は、半ば左翼に染まりつつ、自分たちを馬鹿にする他学部の学生に反発しつつ、半ば社会学部の教員にあきれつつ、自堕落な生活を送るものが大半だった。ナイーブかつ真面目な少数の学生だけが左翼に染まって古典や左翼の文献を熱心に勉強していた。

ちなみに少なくとも当時、一橋大に革マルや中核派はおらず、日本共産党傘下の民主青年同盟(民青)が学生運動を仕切っていた。

私が同学部を卒業したのは四半世紀も前だが、外部からうかがい知る事のできる情報の限り、状態はあまり変わっていない様子だ。人事をみていても、極左の教授は渡辺治(退官)等逐次補充されている一方で、非マルクス系への交代は進んでいないように見える。最近特任教授になった社会心理学者の山岸俊男が着任したのは社会学部系の組織ではなく大学院国際企業戦略研究科である。一條和生に呼ばれたのだろう。社会学部はあくまでマルクス系の牙城で、それを崩せないので院に活路を求めたというと穿ちすぎだろうか。彼らは社会学部で非マルクスのナローパスをくぐり抜けてきた貴重な研究者だが、そうしたことが簡単にできると思わないほうがいい。山岸も学生時代に幾度となく嫌な思いをさせられたことを書いている。茨の道だ。

社会学部系の社会学研究科にはフェアレイバー研究教育センターという付属研究センターがある。労働研究の名目で予算をとって、在日米軍に反対する「基地はいらない、どこにも」という宣伝映画の上映会を主催しているようなところだ。