2015年1月19日月曜日

一橋大学社会学部(2)

私が一橋大学社会学部に対して最も腹立たしく感じるのは、先に書いたような「左翼の巣窟」とでも呼びたくなるような実態が学外に知られないように極力隠蔽しているとしか思われない点だ。

学生募集の案内でも、公式webサイトでも、社会学部の項目は何とも漠然とした奇妙な説明に終始していて、具体的な研究や調査、学内の雰囲気にほとんど言及することがない。

講義要綱が公開であれば、そこから教育の実態を推測することはある程度可能だろうが、他学部も含めてそうなっていなかったし、当時はインターネットの商業利用もなかったから、調べる方法は受験雑誌の記事や、教員の著作物を本屋・図書館で探すしかなかった。

私自身は、経済以外の社会現象に対しても数理的/計量的研究やコンピュータによるシミュレーションなどが有り得るのではないか、そういうものを研究したい、というのが大学進学時の希望であった(※)。大学受験の前には極力どのような教育が行われているか知ろうとして色々調べたのだが、一橋大学について得られた情報は結局、経済学部や商学部のイメージ以上のものではなかったので、「きっとそういう大学なら自分のやりたい研究もできるに違いない」と考える他なかった。

唯一、反証となりえたのが岩波新書で出ていた高島善哉の「社会科学入門」で、高校1、2年の頃に読んでいた。しかし「何故こんな時代錯誤の反実証主義的な研究者が一橋の名誉教授なのだろう」という疑問をもったまでで、一橋大社会学部の歴史や実状を知らない高校生の私には、「そういう例外もあるのだろう」くらいにしか思えなかった。他の教員の著作も、地元の書店や図書館、高校の図書室等で探し回ったのだが、まるで見つからなかった(苦笑。どんだけ著作少ないんですか...)。

マルクス信仰と反天皇制を旗印に教育・洗脳をおこなうにしても、それを学外とくに受験生には分かるようにしておくべきだろう。私個人にとっては、まったく騙し討ちにあったようなものだった。私は入学後しばらくの間、ほぼノイローゼ状態になってしまったし、結局その後の研究も大大大廻りをすることになってしまった。どれ程恨んでも恨みきれない。

(※)もっとも後に分かったことだが、社会学の枠内で数理研究をやったところで、利論的枠組が左翼思想を肯定するものに限定されているのだから不毛である。

2015年1月7日水曜日

一橋大学社会学部

一橋大学を受験しようとしている高校生、一橋大学の学生を採用しようとしている企業の人事担当者に、一橋大学社会学部の実態を知ってもらいたいと思いこの記事を書く。
社会学部の惨状は同大学だけの問題ではなく、日本の大学における社会科学教育の失敗を端的に示す例であるといえる。

一橋大学社会学部とは、分かりやすく言えば、マルクス主義者の高島善哉を開祖とし、マルクス主義教育を特徴とする社会学系の学部である。社会学「系」と書いたのは、大学公式プロフィールに「社会科学・人文科学の総合化をめざす」学部とあるとおり、社会学だけでなく社会・人文系の広い分野の研究者が集まっているからだ──良く言えば。つまりはマルクス主義者やマルクスの影響が色濃い研究者がやたら多いばかりの、文学部の出来損ないである。

世間一般では一橋大学といえば、経験主義や功利主義を重んじる校風の、実学の大学というイメージだろう。商学部、経済学部はほぼ、このイメージに当てはまる。法学部もそれほど遠くない。しかし、社会学部はまったく正反対なのである。むしろマルクシストとそれに近い左派社会学者や左派歴史学者たちの学校というイメージで捉えた方が正確だといえる。また反天皇制もこの学部の教育の特徴である。

文科系学部に所謂「左翼」が多いのはどこの大学にも見られるごく普通の現象なのだが、一橋大学社会学部の場合は、他学部が非マルクス的であることを特徴しているため一層その特異さが際立つ。しかも私が在籍していた当時のカリキュラムでは、必修授業をガチガチのマルクス主義者や極左の教授が担当していて、カルト宗教的と呼びたくなるような反資本主義、反米、反大企業の思想刷り込み教育をおこなっていた。マルクス思想を研究の柱に据える者以外でも、ほとんどの教員はかなり極端に左翼的であった。

当時の教員は、渡邊雅男、矢澤修次郎、佐藤毅、加藤哲郎、などなど。

私が一年時に履修した矢澤修次郎担当の必修授業は、鎌田慧の「教育工場の子供たち」「自動車絶望工場」などを読ませて感想文を書かせるものだった。矢澤が言うには「君ら学生は実社会の知見が足りないから」(語句は正確でない)だそうだ。鎌田慧を読んで実社会の何を知ることができるというのか、当時も、四半世紀後の今も、私には到底理解できない。新入学学生のナイーブさにつけこみ、三流左翼ジャーナリストの俗悪ルポルタージュもどきを繰り返し読ませて左翼的社会観を刷り込むことが、矢澤の考える社会科学教育のようであった。

社会調査が担当の濱谷正晴というのもいた。私の在籍当時、社会学部で社会調査を担当していた教授は彼一人だった。統計学の知識など一片もないと思われる濱谷に社会調査の教育を任せてしまっているのである。彼の授業で湾岸戦争に関する学生の意識調査をした時のエピソード。調査票の質問文が「湾岸戦争はアメリカが中東の石油を支配するためのものだが、…」(大昔の記憶なので正確ではない)云々となっている。こんな質問文はおかしいだろうと濱谷に確認したが、答えは「それでいい」。その調査票を私が知っている経済学部の数理統計の教授にもっていき協力をお願いしたところ、「こんな馬鹿げた調査には協力できない」と一蹴された。社会学部の学生に話したら馬鹿にするなと憤っていたが、私は完全に経済学部の教授と同感だった。社会学部が学内でどういう立場か良く分かる一例だろう。

渡邊雅男が講義で「イデオロギー性のない科学はない」「君らはソ連を馬鹿にしているだろうが、社会主義も勉強しなくちゃいけない」「君らは自分を労働者ではないと思っているだろうが、きみらは労働者なんだ」「主観的には搾取されていなくても、客観的には搾取されているんだ」などと上擦った声で叫んでいたのも忘れ難い。渡邊雅男は同僚研究者にすら「お経」だの「訓詁学」だのと揶揄されるほどの教条マルクス主義者。それどころか自分で「マルクスの主張と現実とが食い違っているように見えるのは、マルクスが間違っているからではなく、我々がマルクスを読み誤っているからだ」とさえ言い切っている。彼にとってマルクスが正しいことは前提であって、議論の対象とはなり得ない。純粋に信仰と化しているわけだ。最悪なのは、社会学部が彼に「社会科学概論」という社会学部1、2年次必修の講義を担当させていたこと。新入生をマルクス信者に洗脳する狙いだと言っても、言い過ぎとは思われない。

学生も大多数は教育に流されてしまっていて、社会学部だけ共産党・社会党(今の社民党)の支持が70%を越えているという支持政党の意識調査もあった。他学部の学生からは「バカ社」と嘲られていた。馬鹿にされるのは単位の取得が簡単で勉強しないことも一因だが、授業では到底学ぶに値しないことばかり教えているのだから仕方ない。古式蒼然たる左翼学部は単位取得が簡単というのは他大学でも同様らしから、学生へ甘くすることで自分たちの教育の独り善がりぶりも大目に見てもらおうという心理が教員に働いているのではないか。結局、社会学部の学生は、半ば左翼に染まりつつ、自分たちを馬鹿にする他学部の学生に反発しつつ、半ば社会学部の教員にあきれつつ、自堕落な生活を送るものが大半だった。ナイーブかつ真面目な少数の学生だけが左翼に染まって古典や左翼の文献を熱心に勉強していた。

ちなみに少なくとも当時、一橋大に革マルや中核派はおらず、日本共産党傘下の民主青年同盟(民青)が学生運動を仕切っていた。

私が同学部を卒業したのは四半世紀も前だが、外部からうかがい知る事のできる情報の限り、状態はあまり変わっていない様子だ。人事をみていても、極左の教授は渡辺治(退官)等逐次補充されている一方で、非マルクス系への交代は進んでいないように見える。最近特任教授になった社会心理学者の山岸俊男が着任したのは社会学部系の組織ではなく大学院国際企業戦略研究科である。一條和生に呼ばれたのだろう。社会学部はあくまでマルクス系の牙城で、それを崩せないので院に活路を求めたというと穿ちすぎだろうか。彼らは社会学部で非マルクスのナローパスをくぐり抜けてきた貴重な研究者だが、そうしたことが簡単にできると思わないほうがいい。山岸も学生時代に幾度となく嫌な思いをさせられたことを書いている。茨の道だ。

社会学部系の社会学研究科にはフェアレイバー研究教育センターという付属研究センターがある。労働研究の名目で予算をとって、在日米軍に反対する「基地はいらない、どこにも」という宣伝映画の上映会を主催しているようなところだ。

2013年3月31日日曜日

日本の大学は再生可能か


セクハラで上智短大学長を解職 学生に携帯メール60通


http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201303290409.html

上の記事を読んで、嫌な事を思い出した。大学でのセクハラだ。
十数年前のことになるが、私が学生として所属していた某TH大学で、セクハラの現場を目撃したことがある。

U教授である。プロジェクターを使って研究発表をしている薄暗い教室で、Uは学生達にお説教めいた話をしながら、座っているある女子学生Aに後ろから近づくと、一瞬、決意に似た緊張の表情をうかべてから、ぐっと女子学生Aの肩を鷲掴みにした。

それは励ましのジェスチャーとして肩をポンと叩く仕草を装っていたが、明らかに異なる種類の動作だった。手の平までべったりと女子学生Aの肩に張り付き、指先は女子学生Aの体に食い込むほどに見えた。

かわいそうに女子学生Aは震え上がっていた。
驚きと恐怖は大変なものだったろう。

この女子学生Aは大学院生で、U教授とは懇意だった。単に懇意であったばかりでなく、U教授が好意を寄せていることは傍目にもそれと知れていた。U教授はもう定年間近の老人で妻子もあったが、女子学生Aも出席していた別の講義の最中に「歳の差を越えた恋愛感情もあるということを理解して欲しい」などと、講義の内容にこじつけて口説いたりもしていた。

女子学生AがU教授のことをどう思っていたか私は知らないし、その後どうしたのか、顛末がどうなったのかも分からない。しかし卒業してしまえば教授との関係の切れる学部学生とは異なり、研究者志望の大学院生にとって、人事権を握る教授に対して批判めいた言動などできるものではなく、たとえ女子学生Aが内心どんなに嫌がっていたとしても、大学のセクハラ対策窓口に相談することはできなかっただろう。

ましてU教授は、「K大の誰それは俺が教授にしてやったんだ」云々といったことを聞かれてもいないのに自分から話すような人物である。当時は私自身もU教授の「指導」を受ける学生の立場だったから、くやしいが何もできなかった。

今こんなことを書けるのは、幸か不幸かその研究室とは何の関係もない立場になっているからに他ならない。

TH大学は日本屈指の名門大学だが、このセクハラの件の少し前に、別の研究室でセクハラ事件があった。そちらはメディアでも取り上げられたのでご記憶の方も多かろう。その件と、U教授の件がどれほど違うのか、違わないのか。

いすれにしても、教授の学生に対する立場の絶対的な優位のために、この様な事例がごく日常的に繰り返されていながら大学の外に知られるケースが稀であることは想像に難くない。

2013年3月7日木曜日


シャープがサムスン電子日本法人と資本提携、出資比率3%受け入れ


http://jp.reuters.com/article/technologyNews/idJPTYE92503F20130306?sp=true
1年以上もほったらかしにしていたが、そろそろ更新しないと
ネタは有り余るほどある(笑)けど、いちいち取り上げるのが却って面倒なんだよな…

2012年2月27日月曜日

エルピーダが経営破綻

http://jp.reuters.com/article/forexNews/idJPTK074322020120227

説明は不要だろう。

ついにこの日が来た。

河村・名古屋市長の「南京事件」を巡る発言に関して

河村・名古屋市長が20日、中国・南京市の中国共産党幹部と会談した際、「いわゆる南京事件というものはなかったのではないか」と発言した(とされる)問題が議論を呼んでいる。
当の河村氏は意見を翻すつもりはないそうだ。

私は歴史の専門家でも何でもない。
この問題に対する感想は書き留めておこうと思う理由は、先の原発を巡る議論と同じ問題の構造を見出さずにはいられなかったからだ。

当初の報道では同氏の発言は「二十万、三十万という単位での虐殺はなかった」という趣旨のものだったとされていた。当たり前のことだが、これは「虐殺があった」か「虐殺がなかった」かとは、まったく異なる話だ。たとえ犠牲者が1人であっても、虐殺があれば「虐殺はあった」のであり、「虐殺はなかった」と言えば嘘になる。もちろん一方で、非戦闘員5万人が戦闘に巻き込まれ犠牲になったことを、意図的な標的とされたかのような脚色を加えながら「数十万人が虐殺された」と言えば、これもまた真っ赤な嘘である。

日中戦争(支那事変でも十五年戦争でも好きなようにお呼び下さい)史は門外漢の私でも、日本政府と中国政府の間に犠牲者数について認識に数倍の開きがあることを知っている。

常識的に考えれば、一般市民に偽装したゲリラの掃討に手を焼いた日本兵が住民もろとも無差別に攻撃したことは十分にあり得る。そもそも、たとえ数万人であっても市民が戦闘の巻き添えとなって死亡したのであれば、それは異常な事態と呼ばざるを得ない。後のマニラ市街戦などもそうだが、市民の犠牲を避け得なかった責任はいずれにせよ問われるべきである。

しかしその一方で、犠牲者数を極度に誇張することもあってはならない。また、市民を標的にした軍事作戦が遂行されたかのような表現を根拠もなく用いることも許されない。それは歴史の歪曲にほかならない。

いずれにしても、それらは軍内部の指揮の記録や、実際の兵の移動、戦闘を検証し、犠牲者や破壊された施設、看護や埋葬などの記録と付き合わせて初めて明らかになることだ。

問題は、そうした地道な検証は技術的に難しい上に、対立する二つのグループがいずれも積極的に取り組もうとしないことだ。事実を見極めるより、自分に有利(だと思っている)説を皆に信じ込ませるよう画策することがはるかに大事だと考えているようである。

原発の安全性のリスクも、過去の戦争の災禍も、その正確で客観的な評価が極めて難しいという意味では同じである。そのような性質の問題にどう対処するか。

(つづく)